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トラベルメイトトラベルメイト95

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「トラベルメイト95」
  1. 【再び「十二万円で世界を歩く」について】

     まずこの本の取材は、一九八八年の六月から一九八九年の十一月までの一年半にわたって行われています。そのあいだに十二本の旅行ほぼ一カ月半に一回の割合で取材しています。これって半端なしんどさではないでしょう。しかもその主旨から基本的には一回の旅行で十二万円の予算、もうこうなると頑張って体力と知力の限界を尽くせばこんな事が出来ると言うアマチュアがする遊びではなく、マニアかプロがコンマ一秒の早さを競うトラックの中で行われる一万メートル競走です。

     ですが、ですがですよ!もう二回も繰り返しますが、本の帯にはこう書かれています。

     「こんなガイドブックが欲しかった」

     「なんてリッチな、ビンボー海外旅行」

     「リピーターにも初めての人も」

     意訳しますと、「なんてリッチな貧乏旅行」は、「ぼろは着てても心は錦、どんな花よりきれいだぜ」と言う感じでしょうか「心豊かな精神的にゆとりのある貧乏旅行」でしょうか?

     「リピーターにも初めての人も」、この本はあらゆるグレードの旅行者に適用されるバイブルみたいなガイドブックだと言うことでしょう。

     帯の裏面を見ますと「毎月一万円、一年で十二万円貯まったら世界があなたを待っている」サラ金の宣伝文句みたいです「XXローンは、一万円借りて半月の利子がなんと珈琲一杯分」おうおう、本当に利子は安いですね、半月で返せれば。

     本の内容に入ってみます。

     まず前書きから。ここの見出しにはこうあります「貧しい旅でなければ見えないものがある」

     確かにそうです、貧しければ貧しいなりの旅行をしなければいけないし金がなければいけない場所には行けません。貧乏旅行コースというのが大体どの国でもできあがっていますがそのコースを旅行するしかありません。それは同じ都市であってもかなりの割合で通常の旅行コースと交差をしていますがその「食・住」の部分ではほとんど交差はしません。

     そういう意味での貧乏旅行は貧乏旅行コースしか旅行できませんというのは全く正しいのです。

     でもこの見出しはこう言いたがっています「貧しい旅しか旅行先の本当の姿が見えない」、本当の姿本当の暮らしてのはよく決まり文句で使われますが、実際これって何なんでしょう?ほとんどの場合「貧しい」と対になって出てきます。

     もうちょっと前書きの内容を読んでみます。「十二万円の旅」はそんな旅の所産である。だから、ガイドブックに載っているような観光地はほとんど出てこない。興味がないわけではないが、著名な観光地を見に行く金と時間がなかっただけのことだ。

     だが、その国の人々の素顔や本当の暮らしぶりを見たと自負できる。金が乏しい故に、現地の人々の世話になり、現地の人々が乗るバスに揺られなくてはならない。いくら汚そうでも、現地の人々が入る食堂に入り、飯をほうばらなくてはならない。だから旅はトラブルばかりだ。バスはのろいし、口に合わない食事はしばしば体調を崩す。しかしそのおかげでぼくはその国の暮らしを、目と口と体で知ることができた。

     つまり人々の素顔や本当の暮らしぶりというのは、現地の人々の世話になりバスに揺られ、汚い食堂に入り口に合わない食事をしてやっと全人格で知ることができた。

     もう一つよく解りません、本当の暮らしぶりを知る方法は解ったけども「本当の暮らしぶり」には何の説明もされていません。それについては本文を読めば書いてあると言うことなんでしょう。ざっと一章から十二章を読んでみます。全部の章で、ほとんどの文章の内容がどこからどこへ移動して、どんな人にあった途中で乗ったバスはこうで、列車はああだった、船はこんなもんで、お金が余ったので飛行機が使えた。どこに本当の暮らしぶりが出ているんでしょう。どうも下川氏は「本当の暮らしぶり」というのは現地の人々の世話になりバスに揺られ、汚い食堂で口に合わない食事をすると自動的に出てくるもので、あまりにも自明のことなので説明する必要がないとでも思っているようです。
     そう、一口で言えば「世間がそう言ってる」とでもおっしゃるのでしょうか、どうもよく解りません。

     「本当」かどうかは別として、暮らしぶりというのは日常生活の淡々と流れる様を言いますでしょう。ほとんどの人がそう劇的なこともなく、毎日ほとんど同じ生活をして時間が過ぎてゆく。大体どこの国でもそんなもんですよね。(そうでない国とか地域は戦争か内乱か、経済破綻かまあとにかく危なくて旅行どころではないところです。)

     十二万円を持って、かつかつに費用を切り詰めひたすら予算内で目的地への旅行と日本への帰国を急ぐ、そうなると大部分は移動のための交通機関があるところでの話に限られます。空港、列車の駅、バスターミナル、港、そしてそれらをつなぐ交通機関の中。しかもローカルな交通機関とルートではなく日本国内で言えばふた桁台の番号の国道またはそれに平行して走っている鉄道、そりゃあそうです十二万円で早回りするにはローカルなところへ回っている時間なんかありません。

     下川氏によればたぶん本当の暮らしぶりをしているのは、通常の一般市民で中流かまたは下層の人達でしょう。その暮らしぶりが十二万円の旅で体験できたと後書きにも出てきます。

     北米のような国でも通常の市民は、日常の生活では空港、とか長距離バス、列車の駅等はあまり用がないところではないでしょうか。利用しようと思えば利用できる経済力はあるでしょうが、まず日常生活では用がありません。途中で会う人達は、出張を繰り返しながらものを売り歩いているセールスマン、旅行者、何らかの理由で移動中の家族、運輸交通関係で働いている人達、等かなり限定された範囲になります。

     確かに十二万円早回りでは観光地へゆく暇もお金もないでしょう、それで限定された範囲の人達にあってその国の本当の暮らしぶりや素顔がみれたのでしょうか?ちょっと考えるとすごくおかしいことを彼は言ってませんか!

     それとも日本以外では、日本と違ってその国の人はほとんど大多数のものがキャンピングカー等で国道沿いに暮らしてるのでしょうか、それともインドとかタイでは道ばたに庶民の家が切れ目無く並んでいて大きな道沿い以外には人は住んでないのでしょうか?ショッピングセンターは長距離バスの駅とか列車の駅とか空港にしかなく、その国の人は買い物はほとんどすべてショッピングセンターですます、そうであるならつじつまが合います。早回りの移動でもほとんどの国民が住んでいる真ん中を移動していくのですからそりゃー良い体験になるでしょう。

     私たちの乏しい旅からするとほとんど大部分の国民が幹線沿いか、大きな駅空港、長距離バスの駅にしか住んでない国に行ったことがありませんそれはどこの国でしょうか教えてください。

     もっとおかしいことがあります、「現地の人々が入る食堂に入り飯を頬ばらなくてはならない。だから旅はトラブルばかりだ。バスはのろいし、口に合わない食事はしばしば体調を崩す。しかしそのおかげでぼくはその国の暮らしを、目と口と体で知ることができた」

     どこがおかしいか解りますか、要約すると「現地のまずい食堂に入り食事をすると案の定体調を崩す、でもそのおかげでその国の暮らしを体で知ることができた」食堂というのはどの国でも、家庭で作るより数倍高です。食堂で食事をすること自体かなりお金を使ってることになります。独身とか出張中とか弁当を持っていって無いときの昼食とかには仕方ありません、皆さん外食をします。

     家庭の主婦は、高校生くらいまでの学生は、家庭生活をしているおとうさんの夕食はやはり日頃からバスターミナルの口に合わない安食堂でしょうか?
    たぶん違いますよね、そうならば体で知ったその国の暮らしとは何なんでしょう。逆に自分がお金を持っていって無いために(持っていこうと思えばもっていけたのに)あるいは、持っていても十二万以内の予算に収めるために安食堂ばかり入って、口に合わない食事で体調を崩す。

     そうなんですか、現地の人の入る食堂はまずいのですか、でも我慢したからその国の暮らしを知ることができたんですか。(同じような系列の本で、もの食う人々と言うのもありますが)

     段々腹が立ってきました、安食堂はどこの国だっておいしくはありません(例外はありますが)。その食堂にほとんど外国人が行かないからと言うだけの理由で、その食堂で食事をとったからその国の暮らしを知ることができた訳ですか?

     その国の料理は立派に文化のかなりの部分を占めます。そのかなりの部分を最初から捨てて、最も基本的な食品に近いそして腐ってはいないレベルの安食堂の食事を持ってしてその国を理解したと断定されるのでしょうか。これってものすごくその国の人、文化に失礼なことをしていません?

     かく言う私も、最初のインド旅行では同じ誤りを繰り返していました。食事はぎりぎりの安いところ、できたら屋台なんか最高だし、朝飯は少しかびたパンに紅茶、一日が終わると今日の飯はまずかったけどもなんと三食で二ルピー五十パイサでできた、ただ途中の駅で十パイサのピーナッツと十五パイサの紅茶三杯を飲んだうえ、夕食には七十五パイサのネスカフェとビスケット少々食べてしまった、合計四ルピー弱明日からはもっと節約せねばと日記に書き付けました。

     そのころは、予算を節約してなるべく安く食事ができるところを探すのが本当の旅の一歩だと思いこんでいました。その仕事は(もうこうなると旅行ではなく、旅行費用の節約のための仕事です)朝から始まります。安い食堂を探すのは当然なのですが、安く食事ができるのは安食堂ばかりではありません。日本のデパートだって安く食事ができるところがありますでしょう、例えば地下の総菜売場、ここには必ず小さなカウンターでラーメンとか焼きソバなどの軽食を出すところとか、パン屋さんのハジッコにコーヒーを飲ませてくれるところがあってサンドイッチ等も食べられるコーナーがあったりします。ここいらで食事をすればそんなに高くはありません。

     インドでも同じ手が使えます、ちょっとしたマーケットの中には必ず雑貨とか薬を売ってるドラッグストアーがあります、そういう店ではパンとかキャンディー、卵、飲み物も売ってることがあります。マドラスの安宿の近くのドラッグストアーにはそのうえ小さな立ち食いのカウンターがあって、目玉焼きとかトーストくらいなら作ってくれました。安宿の食堂よりもっと安いのです。

     さっそく朝はそのお店と決めました。二日目にトーストを頼もうとカウンターをのぞくと、ガラスの広口瓶にパンが入ってます。そっちのパンはカウンターに山積みされているパンより安いのです。

     カウンターのパンは一個二十五パイサ、広口瓶のは十パイサ。そりゃもう注文は広口瓶のです。

     「おやじ、何でこっち安いの」

     「カンターのは、ツデイ、瓶のはイエスタデイ」
     それからは、瓶の分をマドラスを後にする日まで毎朝二個にコーヒー一杯が私の朝食でした。かび臭かったです、ぼそぼそしていて。

     マドラスから、カルカッタへ向けて出発する日、
     「きょう夕方カルカッタへ行くよ」

     「そうか」とおやじは言って、カウンターの後ろから卵を一個とって目玉焼きを作ってくれました。

     「俺注文してないよ、金ないし」

     「バクシーシ」(お布施)と一言言っておやじはにこっとしました。
     良い話です。人間て捨てたもんじゃない等と思っていました。いや思おうとしていました。日本に帰ってから折に触れこの話をしました。でもよくよく考えてみたらインドの素顔にふれたとでも話す普遍的なものではありません。私とおやじの個人的関係では、やあー、と言う関係ですその時だけは。一般的な話で心の交流などと大それた話にまで行くと、だいぶ違うぞと言う感じです。

     ずーとこんな感じで食費を節約して歩いてました。結果は、楽しくないのです、腹減ったうまいもんでも食うかの楽しみがないのですから楽しくありません。夜は安宿の大部屋か、窓のない湿っぽい部屋のベッドです。

     暑いときには安宿のクーラーのない部屋は最悪です。昼間は家全体が太陽の直撃で暖まります。と言うより暑くなります。夜は、暑くなった壁から熱が部屋の中放射されます。

     夕方になると空気自体はさわやかになっていくのですが部屋の中は壁全体に天井までパネルヒーターを取り付けた雰囲気になります。デリーは最悪でした、南京の八月下旬も最悪でした、バンコックの四月も最悪でした、特にバンコックは安い部屋は決まって大きな道に面していて夜の間中トラックとかクルマのクラクションで眠れません、窓を開けると涼しい風が入ってくることはありますがこの風がまたたまらない臭いを運んできます。近所のどぶの臭いでしょうか、レストランのにんにくの臭いでしょうか二つとも違います。鼻を突く排気ガスがさわやかな夜風と一緒に入ってくるのです。締め切ると暑い、あけるとうるさいし喉が痛くなる。

     眠れるのは、壁の温度とそとの温度が同じになる一瞬、あるいは車の通行がぐっと少なくなる時間それは午前二時から四時ころまで、朝日が差し込むようになると暑くなり始め、車も一気に増えます。毎日が慢性の疲労です。食う楽しみも、寝る楽しみもないのですから毎日面白くありません。着てる物はだらしなくなるし頬はこけてくるし、目は落ちくぼんで鯖の死んだような目になってきます。一種独特の死臭にもにた体臭も漂い始めます。

     何にもない田舎をたまたま旅行するときはまだましです、ぼろぼろのあなたの恰好がまだましなレベルの生活だってあるわけですから。頬のこけた顔以上に日光で焼けたたるんだ皮膚に、歯がほとんどない年季の入った生まれながらの顔には、あなたのパートタイムのこけた頬はまだまだ裕福に見えます。ですからまだアマチュアの貧乏旅行者として扱ってくれます。「そんな人々」が支えてくれることもあります。

     都会ではどうでしょう、「そんな人々」も経済的なレベルはあがってきます。嫌々口に合わない食事をしなくても良い普通のレベルのその国の暮らしをしている人達にとって、アマチュアの貧乏旅行者と好意的にとってくれる人だけではなくなります。もし何人かの、貧乏旅行者に好意的な人達が幸運にもいたとします、「俺ん所に来いよ、今夜は泊まっていっても良いよ」と言われたとき、どんな基準で彼らを選びますか。私はまず、服装で選びました、アンバランスでなくその都会での中流に近いこざっぱりした服装をしている、少なくともがりがりに痩せてない貧相でない人。できたら子供ずれ!自分のしている旅行の真反対ではないですか!

     逆に相手が一人で旅行者が数人の時相手が泊まりに来いよと選ぶのは、たぶん同じ基準で選ばれます。
     貧乏旅行だから相手の国の暮らしを体で知ることができたと思いこんでしまうと大変な思い違いをしてしまうことが往々にしてあります。自分より経済的レベルが低い場所では、自分が相手を選んで判断するケースが多いのでまだまだ通用します、自分とレベルが同じかもっと上の人ばかりの所だと数多い旅行者の中から相手(下川氏はそんな人々と言ってますが)が選びます。

     旅行者によっては、一回も支えてもらえない人だって出てきます。それどころか、いやがられたり無視されるケースの方が多くなって来ることもあります。

     私はこの国の文化と暮らしを体で体験するために、あえてお金を使わない貧乏旅行をしています。だから有名な観光地も行きませんし、ショッピングもしません。団体で歩くようなみっともないまねはしません。ただ安宿安食堂の貧乏旅行者がよく行くところにはたむろしています。たむろしてるだけで日本の人のよくやる団体旅行ではありません。一見外からみると似たような顔で全員同じような香りがする集団に見えますがたまたまその場所に集まった偶然の集団で団体ではありません。その証拠に国籍も年齢もバラバラで一日ごとに人間が入れ替わっています。だから誰もが優しくしてください。私たち人畜無害ですから。こんなに苦労して、口に合わない食事をしながら旅行してあなた方の国の生活を知ろうとしてるのですから、良いことをしています。だから沢山の肌の違う人々絶対世話をしてください。まだ人間達は捨てたもんじゃない!

     幸せな人達です。後書きにも出てきます。「誰もが金のない僕らにとことん優しかった・・・・・。あまりに沢山の肌の色の違う人々の世話になった。・・・・・。そんな人々に支えられたのがこのシリーズだった。まだ、人間達は捨てたもんじゃない。」

     誰もがと言うことは旅行中会う人が全部優しい人達ばかりなんでしょう。そんな人々が旅を支えてくれた?本当ですか?本当に本当ですか?私たちが旅行をしていた七〇年代から世界は、八〇年代後半になってがらっと変わったのでしょうか。

     確かに得ばかりしている、貧乏長期旅行者はいました。例外ですがいました。彼はそれなりの体験とずるさと見た目の良さを武器にしていました。彼の落ちついた物腰、話の面白さ、貧乏なりのハイファッション。女性にも女の子にもよくもてていました、それは旅行者の間だけではなく現地の人々の間でも。同性の連中も三目くらいおいてました。彼の回りにいると華やいでいて楽しいし、たまにどっかのおばさんが夕食に誘ってくれたときお相伴で誘われて腹一杯食べれるときもあったのです。私が彼にあったのは、彼がもう日本を出てから三年ほどたったときのことです。わたし?私は日本を出てから二週間しか経ってませんでした。

     普通の貧乏旅行者、または貧乏旅行をしたいと思っている旅行者にとって世間の風は甘くはありません。反面団体の観光旅行をしてる人達にはそうは冷たくはありません。やっかみはあったとしても。

     日本を出発してまだ一ヶ月以内の人は、そうは冷たくはされません。まだドロップアウトの香りがしないからです。ドロップアウトした人を英語でホウボウ(HOBO)とも言います。これは日本語の、方々へ行くから来た言葉だと言われてますが(本当かなここは自信ありません?)、ホウボウの香りがし始めるととたんに世間の風は冷たくなります。

     現地側から見るとどうなるかと言いますと、観光地だけをさっと見てお金を使ってくれて用が終わったら帰っていく観光客でもないし、働きに来ている外国人でもない、留学できている学生でもないし、ものすごく貧しくて今日の夕食に事欠く浮浪者でもない。いつも利用する食堂は観光客はほとんど来ないけどもまあ普通の人が普通に利用する庶民的食堂で、でも顔をしかめてまずそうに食べている。外国の旅行者だから金払いが良いかというと妙なところでこだわってけちでつきあいにくい。普通の観光客のように有名な観光地に出かけるかと思えば、そうでもなく一日中安宿の回りで仲間とうろうろしている。いったいあんたは何をしにこの国へ来てるんだ。通常こうなります。

     本では誰もが金のない僕らにとことん優しかったとありますが、私らそんな優しい人達ばかりにあった嬉しい体験はそんなに多くありません。確かに旅行を始めた三週間ばかりはあったかも知れません。それは単純に「学生さん、貧乏旅行?大変だね頑張ってよ!」と世界共通の励ましであったように思います。二十二、三の若いまだ髭も髪もぼさぼさでない若いのはどこの国でも一応学生に分類してくれます。それ以降または最初から学生に見えない人達は最初から警戒心を持ってみられてしまいます。

     そうなると逆にこちらも相手の領分には立ち入りませんと言うことを見せないと警戒心をといてはくれません。普通の庶民という基準をどこに持っていくかという事でもかなり違ってはきますがまあ普通の人の生活は外人ホウボウと最も遠いところにあります。ですから私たちは長期の貧乏旅行中はなるべく目立たないようその社会に関わらないよう抜き足差し足で生活していました。

     そんな生活の中でも現地社会との交流もあります。それは大多数をしめる普通の人達とではなく、すごく貧しい人か、すごい大金持ちの人達とでした。貧しい連中は私たちよりすごく貧しいわけですから彼らはつきあっても損はしません。それ以上に社会からのホウボウと言う点ではよく似通っています。大金持ちは、ホウボウ一人くらい面倒を見てもびくともしない経済力があります、それに現地社会にはホウボウは損得の関係を持ちません、気前良く滞在費を援助したり、部下に命じて車を回してやることは一種の快感でさえあります、お金持ちには私たちは一種のバッチの様な物でした。

    「どうだ、世界放浪旅行をしている若者が一人家に泊まっているぞ、なかなか面白い青年で末はアレキサンダーか、ホーメロスかアラビアのロレンスかとわめいている」

    「俺んとこは日本人だ、うちはアメリカ人だ、いやあんたのとこはフランス人かい」ホーボーバッチはステイタスです。

     あちこち世界を回っている旅行者と、これもあちこち回れる経済力を持っている大金持ちと共通の話題を探すことは難しくはありません。

     普通の庶民?たぶん格好を付けて、この国の文化を見せてやると思ったとしてもせいぜいちょっとしゃれたレストランに一回くらいつれていけるくらいの余裕しか時間的にも経済的にも精神的にも無いでしょう。まあそれくらいの余裕しかないのを一般的な人と言いますがね。

     例えば日本で言えば、アパート二部屋に家族七人の所へ貧乏外人旅行者はそんなにミスマッチではありません。アパート全体で酒盛りが始まってしまうかも知れません。十LDKに広い庭犬が三匹で家族五人なんて所なら、これも違和感はありません。

     普通の最近できた分譲の、何とか青葉台、桜ヶ丘、紅葉台、光るが丘、の三LDKの住宅街に外人ホウボウは場違いです。退職後の夫婦二人の家にアメリカ人とかフランス人の旅行者ならまだマッチします。


    *32【何故「十二万円で世界を歩く」がよくないのかのまとめ】

     いままでの話で大体解るとは思いますが、あまりにもあちこち飛んだ話をしすぎましたのでいったんまとめておきます。
    まず目立つのが本の帯の部分の「なんてリッチな貧乏旅行、リピーターにも初めての人にも」。

     このような旅行はリピーター(くり返し海外旅行に出かける人)にはそうつらくなく、日程は消化できるでしょう、予算も毎年上がっている物価と諸処の条件をプラスすれば大体同じような感じでいけるとは思います。でも大前提としてなんでこんな旅行をしなければいけないのでしょう、あるいはした方がいいのでしょう。

     十二万円という予算を限定して各地を早回りしてどうするのでしょう。前書きにも出てくる「その国の暮らしを目と口と体で知る」為には、沢山の時間が必要ではないでしょうか。それを、バスターミナルとか空港港を転々として観光地も満足に行く時間なしで暮らしぶりが体で解ったなどと言えるのでしょうか。

     はっきり言ってこの本は、お仕事の本です。安く効率的に短期間で倒れない程度の物を食ってなるべく沢山の都市とか国を回る。まさしく五〇年代から七〇年代前半の日本のビジネスマンはそうでした。金もないコネもない従って滞在できる時間もない、売る物さえ品質はおろか名前さえない状態での輸出を始めたときの雰囲気ぴったりです。いまは九〇年代です、いくらバブルがはじけたと言っても日本円はまだまだ強いです。

     そんな中で、十二万円に限定した予算で世界を歩かなくてはならないんでしょうか、例えば一回二回の貧乏旅行と称する物をガイドブックの中のエピソードで取り上げる分にはまだまだしゃれで済まされます。この本は一九八八年の六月から一九八九年の十二月まで十二回にわたって行われています。結論は「ガイドブックの載っているような有名な観光地を回らずに、なおかつ金をかけない旅をすればその国の人々の本当の素顔や暮らしぶりを体験でき、そのような旅行が本当の旅行だ」

     ぜーんぶうそです。下川氏の経歴をちょっと見てみますと一九七八年ころが最初の海外旅行のようです、この時から一九八八年まで十年近く経っています、そのあいだに彼は何回海外旅行に出かけていったのでしょう。もうかなりなれたベテランの海外取材もできるライターになっていたはずです。だから逆に、一カ月おきの「十二万円の旅」の取材ができたんではないかと思います。初心者にこんな旅ができると思いますか、リピーターでも半端なリピーターではできませんでしょう。

     十年のうち少なくとも二十回以上は海外旅行に彼は出かけたことと思います、その蓄積があって別に観光地を回らなくともそれなりに旅行を楽しむすべを手に入れていることと思います。

     日本の国内旅行でも山歩きを始めたころは野生の猿が道に出てきているだけでフイルム二本くらい使いませんでしたか。何回もあちこちの山に登っているうち猿にもなれ二〜三年で、フイルム一本どころか、一枚も写真を撮らなくなるのと同じ事です。

     これを最初から猿なんて初心者のあなたは解らないでしょうけども日本のちょっとした山ならどこにでもいますからフイルムを撮っても無駄ですと言うような物です。それは最終的には誰でもそうなっていくという事は正しいことであっても、みんなフイルムを二本なり三本なりとる時期を過ぎなければなれてこないと言うことを忘れています。観光地は観光旅行の基本です、それは団体でなく個人で出かけていったとしても観光地を回らない観光旅行は文字通りあり得ません。

     「十二万円の旅」がめざす物は単なる観光旅行ではありませんと言う意見が出そうですね。じゃこの旅行の取材のようにお仕事で行くべきなんでしょうか?

     そうじゃない、観光旅行は否定はしないけど、物見遊山の旅行ではないその国の人の素顔や暮らしぶりを体験する旅行の方がいいと薦めているだけだ、そのためにはお金を使う必要はない貧乏旅行の方がかえって良い旅ができる。だから前書きの最後に「金をかけない旅でなければ見えない物がある」と書いておいたではないか!と来そうです。多分この本の読者も含め、この本は悪くはないと思ってる人はこの手で来ると思います。

     実際十二万円のみで初心者が、あるいは旅行者の大多数をしめる中級までの年に多くて二回それも休みが取れるのはピークシーズンのみという人にここに書かれているような旅行がすいすいできますでしょうか。

     ほとんどの旅行者が自分はどう思っているかは別として観光旅行しかできませんでしょう。つまり個人的な遊びの旅行です。現地で観光地に行かないようにしたとしても、安食堂と安宿しか利用しなかったとしても、日本を出てもう早や三年が経ってホーボー回ってホーボー臭くなったとしてもどこかからお金が出て仕事をやり遂げなければいけない物がない限り個人的な「お遊び」です。そしてこの様な目的がないか、または目的がなんとでも取れるユニバーサル型の観光旅行は一番贅沢な物です。

     だって考えてもみなさい、純粋に消費活動が海外でできるんですよ、これ以上贅沢はありませんでしょう。しかも現地で体験したこととか見たこと、食事の種類から価格、ホテルの写真からレストランの場所を純粋に個人的に楽しむためだけに使えるわけです。何月何日までに感じたことを原稿用紙で二十枚送れとか、写真を四点適当に見繕ってくれとかは誰も言わないのです。
    言われない代わりにお金がかかります自分で払わなければいけないのです。

     楽しいことをするには、遊ぶには半端ではないお金がかかります。皆さん誰でも一つくらいはマニアックな楽しみはありますでしょう、多分小さなころからそれは続いていると思います。バイクが好きなら食事時間と食事の予算を削ってもバイクをいじりたいでしょう。ゲームが好きな人はゲームセンターだけでは飽きたらずゲームのボードまで集め始める人だっていますでしょう。ヌイグルミが好きな人は一個三百万円のアンティークの物だって欲しいでしょう。

     旅行は遊びの中でも最も贅沢な遊びの中に入ります。バーチャルリアリティの世界でなく、本物のリアリティの中で旅行を続ける物ですから。その中でもお金を使わないで旅行するのは本当に難しいことです。個人的遊びの旅行で、貧乏旅行がすいすいできるのは上級者の中でも上中級者とでも呼べるレベルの高い人達しかできないことなのです。この本の作者自身書いてるような貧乏旅行ができるようになるには十年近くかかっています、それがない人がすんなり貧乏旅行ができますか?形だけでならまねをすることはできますでしょうが、毎日移動して見る所と言えば、交通機関の乗り換えの場所だけ、満足に食事をとる時間も予算もない、こんなもん楽しいですか。

     無理して疲れたけども楽しかったと日記に付けますか?もっと素直になりませんか、普通の人が遊びで行く海外旅行に貧乏旅行は似合いません。予算がないならないなりに余裕を持って旅行できるところへ目的地を変更すればいいのです。もし予算があったとしたら、毎日今日はいくら節約できたと家計簿を付けるような日記は付けないでください。ある分だけ支障のない範囲で使えばいいじゃないですか!

     日常生活ではうんざりするくらい節約と効率の考えで動いていますでしょう。疲れますよね!せっかく遊びに出かけた海外旅行で節約と効率の論理で動いて楽しいでしょうか。

     遊びは消費の論理しか似合いません。言い換えれば無駄遣いの考えがなければやっていけません。貧乏旅行は消費が十分できないと言うことですから、中途半端な結果しかもたらしません。遊びに行ったのによけいストレスを抱え込んでかえってくることになります。

     予算が十分無いけどもこの時期しか旅行に出れない時は仕方ありません。できる範囲で予算をけちってぎりぎりの所で出発するしかありません。結果的に貧乏旅行になります。下川氏のようにお薦めはしませんけどもそれなりに楽しく旅行することもできますでしょう。工夫に工夫を重ねていけばです。

     もし少し旅行を延期して予算をもっと増やすことができるなら(ほとんどの場合都合を付けることはできるとは思いますが)、貧乏旅行は絶対やめてください。貧乏旅行は一九七〇年代の遺物です。

     一九六〇年代の海外旅行が「無銭旅行」でくくれるとしたら一九七〇年代は「貧乏旅行」一九八〇年代は「自由旅行」でくくれます。九〇年代はまだ何と言っていいのか解りませんが「ふれあいの旅」「観光旅行でない一人旅」等でしょうかね。

     その七〇年代、ほとんどの旅行者は海外旅行は何回も出かけれる物とは想像がつきませんでした。当然最初で最後の旅行にはりきって出かけたのです。一$がまだ二百五十円〜三百円の時代です。日本で稼ぐだけ稼いでもゆったり旅行を続けるだけの資金はたまりませんでした。ヨーロッパとかアメリカで稼ぐという手もありましたが言葉も技術もない者にとってそんな良い職にあり就けるわけはありません。少しくらいかせいだとしても結果的には貧乏旅行をするしか選択の余地はありません。

     貧乏旅行の副産物として確かに現地社会にとけ込んだり外国で才能が花開いた人もいました。でも常に良いと思われることは少数です。副作用として、現地でもめ事を起こしたり本人がぼろぼろになって息絶え絶えになったり、本当に息が絶えた人もたくさんいます。
     もし少しでも予算が取れて、安全策ができるならその条件ができあがるまで旅行はちょっと待ってください。

     もし予算はあるのに貧乏旅行しなければ現地の文化にふれあえないなどと思ってる人がいたとしたら使える予算は旅行中使いきりなさい。確かに、お金の余裕を持って貧乏旅行するのはしゃれとしてはかなり高度の物ですが、反面すごくいやらしいきざな物でもあるのです。

     「長期旅行者の格好でちょっとしたほてるに泊まったらボーイもリセプションの係員も見下したような態度を見せ本当に不愉快だった、カードがないと言うことで前金三百$もとられてしまった。でもチェックインした後で服を着替え、チェックインの時ださなかったアメックスのゴールドカードを出して部屋をかえるように言ったところとたんに態度が変わった。こういう建て前と本音の経験は貧乏旅行でなければ体験できないことです。」(この部分下川氏の本の中の一説ではありません)

     「あ、そう」て感じです。建て前と本音などと大上段にかぶって言うべき事でもありません。むしろあなたが場違いな服装をしてきてたのが、その場にあった服装になっただけの話で、ちょっと身の初対面の人は服装で判断されると言う事実を体験したに過ぎないのです。

     しかも、突っかかっている相手はホテルのスタッフで決してこの人達は貧乏の対極にいて遊んで暮らせる人達ではありません。こう言うのをいやらしい感覚というのです。もっと高度の事をしたければ、ゴールドカードさえ必要なく、顔パスで一カ月以上五つ星のホテルのスイートに滞在できる人にしゃれで突っかかってみることです通用すればあなたは本物です。

     ファッションで貧乏旅行をしてる限りあなたも、旅行中に会う人もそれなりの上辺だけの接点しか持ちえません。七〇年代の旅行はほとんどの人がしたくはなかったけどの予算がないので結局なってしまった貧乏旅行でした。そしてここんところは絶対に誤解しないで欲しいのですが、貧乏旅行をしたからタフになり現地にとけ込んだりしたわけではないのです。

     一回切りの外国旅行だと思ったからなるべく長く多くの場所を旅行したかった、でも予算がそんなには取れなかった(つまり手持ちのお金が多くなかったので)、一日当たり使えるお金は大変少ない物になる、要するに貧乏旅行といわれる状態になる。ここで一番重要なのはなるべく長く(つまり時間をかけて)多くの場所を旅行したからタフになりいろいろの物を見る目かできあがって面白い人になっていくのであって、ここに貧乏旅行でお金を使わなかったからと言う理由はこれっぽっちも入ってきません。

     むしろ貧乏なことは、海外旅行にとってはすごくハンディになってきます。お金がなければ多くの場所を旅行できません、長く滞在できません、その国の文化の大きな割合を占める料理を楽しむ金も暇も体力もなくなります。

     七〇年代ストックホルムのカフェテラス「ABC」でウェイターのアルバイトをしたのは、単純に旅行のためのお金を稼ぐためであって現地の人の素顔を知るためではありません。手持ちの金が十分あればあるバイトなどしないでもっと旅行をしたかったです。第一、旅行するために海外に来たんですから。アルバイトをしにストックホルムまで来たのではありません。

     それなのに、「十二万円で世界を歩く」は金をかけない旅でなければ見えない物がある!

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