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トラベルメイトトラベルメイト95

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「トラベルメイト95」
  1. 【蔵前氏の薦める旅行は?】

     どこがどうと今一口では言えないのですが、「ごーごーアジア」の前書きとか、最後の方の、ホテルアジアへようこそ、あるいは後書きの部分に出てくる文章を見ながらさらに考えてみます。

     彼がしてきた旅あるいは薦める旅は、「ぼくの好んで行くところが、インドとかネパールとか何となく“おどろおどろしい”イメージがつきまとう場所が多いので、つい「冒険」と思われてしまうようだが、ぼくのやってる旅は決して「冒険」でも「探検」でもない。あくまで普通の「旅行」であり、それが幾分長めであるという事に過ぎない・・・・・。」

     「自慢にはならないが、ぼくはとりわけ強健なカラダと強い意志を持ってるわけではなく、語学に堪能と言うのでもない。どっちかというと細身過ぎて体力には自身がなく、・・・・・

     そういうぼくの旅のやり方は、できるだけ金をかけず無理もしないで、時間をかけると言うことだけである。」

     「おきまりのパック旅行に身を任せて、買い物.記念写真ツアーに出るのもいちがいに悪いとは思わないが、それが海外で奇妙な目で見られているという事も忘れたくない。」

     「インドの片隅にあるちっぽけな安宿の一室で、暇な旅行者達が集まってきてぼくの知りもしなかった「世界」の話をしている。まるで暇つぶしの世間話のように。」

     「ぼくはそれまで自分の持っていた”旅”に対する考え方が一挙に変わっていくのを感じた。ぼくの知っている旅とは、観光であり、見聞であった。見物し、写真を撮り、思い出を作ればそれでよい物であった。

     だが、彼らの旅は、対決であり、埋没であり、放浪であった。彼らの中にはいっさいの観光を拒否する物もおり、カメラを持っていないと言う人も珍しくなかった。」

     パック旅行云々の部分はそんなことは気にすることはない、と思えることは書きました。それ以外の部分でどこがどう違うのか考えてみたいと思います。

     私どもがやる説明会で決まって反論してくる人達、ほとんどの場合面と向かってではなく後で投書またはアンケート用紙などへの意見として反論してくる人達は大部分が今まで抜き書きした蔵前氏の考え方とオーバーラップする考えを持っています。

     まず第一条件は、貧乏旅行でなければならない、第二の条件は一人旅でなければならない(少なくとも団体旅行であってはならない)、第三の条件は長期の旅行でなければならない、第四の条件は観光地へは行ってはいけない、第五の条件は異文化の中に飛び込んでいって現地を体験しなければいけない。

     大体がこんな物でしょうか。そしてこれらのことは、前に出てきた下川氏によれば十二万円から実行可能で心の持ち方で初心者も楽しめる、蔵前氏によれば体力もそんなになく強い意志も持たないで語学が堪能でない私ができるのだから、多分あなたもできる。旅のコツは、できるだけ金をかけず無理をしないで、時間をかける事である。良さそうですよね、どこにも文句の付け用のない条件ですし考えでしょう。本当に簡単に初心者にもできることならです。例えば普通の家庭の普通の大学生が同じ様な旅行をしたいと思ったとします。女性はかなり海外一人旅というのは最初からハンデイがつきまといますので男子学生とします。(このハンデイがつきまとうという事は、後で他の機会に説明しようと思います。)

     彼は本当の初心者で、今まで海外旅行をしたことがありません。最近は家族でハワイとかバリ島に行くのも流行っていますがそういう家族旅行をもしたことがないとします。彼の仮の名前を松本君とします。

     松本君の家庭はそう裕福でもありませんが、そう貧乏でもありません。兄弟二人を大学に入れるくらいの経済力はありますし、カローラが一台家にあり中学生のころまで家族でよくキャンプに行ったりしました。育った街は一応スーパーとかファミレスは一通りそろっている東京から二時間くらいの埼玉の地方都市です。大学は東京で三年生までは順調にいきました。さすがに大学生になると、尾崎豊とか長淵剛、の歌を聴くのはちょっと恥ずかしい感じはしましたが歌われている心情は解らないでもありませんでした。

     最近では海外旅行はもうほとんど当たり前の世界で、田舎でないところで育ったにも関わらずまだ一度も海外旅行に行ったことのない自分はなんと不幸だろうと思っていました。福井県出身の親友浜田でさえ小学校時代から家族でグアムとかハワイに何回か旅行してるのに、田舎もんではない自分が海外旅行を一回もしてないことが我慢できませんでした。ただ救いは、自分が団体パック旅行には一回も参加してないことでした。浜田は小さなころから団体の短期間のパック旅行しか行ったことしかないのに比べ、自分はあんなくだらない現地の人からもさげすみの目で見られているパック旅行に参加をしないで、一回目からの海外旅行が自由な一人旅にできることは密かに自慢できることだと思っています。

     三年生にもなるともう先が見えだします。親のコネもないしお金持ちでもない自分は、才能はあっても認められるチャンスはほとんどありません。汚い世の中です、金と力がすべての世の中です。(ワオ、もろ尾崎豊の世界です)今このまま海外旅行も行かずに、四年生になってしまえば自分が自分でなくなってしまいます。今しかありません。

     旅行先はあまり人の行かないインド、ネパールに決めました。ブランド物の買い出しツアーが多いヨーロッパ、英語がちょっと、しかもアメリカ英語がしゃべれるだけの短期留学生の多いカリフォルニアそういう所より、自分の住む日本が属しているアジアそのルーツともいえる中国インド。片方の国に行くだけでも有意義に思えます。

     さっそく目に付いた本を買ってきました。技術的なことでは「十二万円で世界を歩く」が参考になりそうですし、現地での旅行方法はゴーゴーシリーズの「ゴーゴーインド」と「ゴーゴーアジア」にさらに追加して「旅ときどき沈没」を買いました。この本はどのようにして現地でふれあうかについて詳しく書いてあり、他のガイドブックのようにただ観光地の説明が羅列してある物より数倍参考になりそうです、どうせ私も観光地へはあまり行くつもりもありませんし貧乏旅行する予定ですから、この本の著者のように現地の庶民の生活にふれ異文化との交流に時間を使う予定でインドの理解のためには藤原新也編のインド読本を買いました。この本はインドをより理解するためには色々な人のインドでな体験が取り上げられているので参考になりました。それに定番の地球の歩き方、インドあちこちで情報が古いとか間違っているとかの話は聞くのですがじゃあ他に間違ってない本はと言うことになりますとやはりこれしかありません。もう一冊最近出版された本で「アジアン.ジャパニーズ」と言うのも買いました、この本は旅行者が写真入りで載っているので理解しやすい本でした。

     旅行の相談に渋谷の大手旅行代理店のお店に行ってみました。一応自由旅行希望なので、詳しいことは多分聞けないとは思ったのですがまあ旅行会社はどんな物なのか少しは参考になりました。カウンターの係員にインドの手続きなどの詳しいことを聞こうと思ったのですが質問するたびにマニアルを引きながら答えるだけで地球の歩き方を一通り読んだ私の方が詳しいくらいでした。

     ちょうどそのころ地球の歩き方の旅行のパンフレットを読んでいますと、インドの旅行説明会があるようです。さっそく参加しました、ガイドブックを作っているところが主催する説明会なので期待していきました。前半はインドへの航空券の買い方とか、地球の歩き方で企画する旅行の説明がありました。ここは技術的な部分だったのでまだ海外旅行をしたことのない私にとって少し理解しにくい所がありましたが、まあ解ったと言えば解る参考になるところも多い話でした。

     後半のインド自体の旅行の話になりますと雰囲気ががらっとかわりました。インド旅行もヨーロパも基本ではそんなに変わった旅行になるわけではなくほとんど同じ事を注意して旅行すれば大丈夫という事でした。違う部分を体験するには回数と時間をかけてゆっくり旅をするしかなく初心者の人は「貧乏旅行を安く」体験することなどは不可能だから、最初はお金をじっくりかけて観光地回りからスタートすべきだとのこと。

     こんな事もその講師は言っていました。「インド旅行中すいすい経済的に安く良い旅をしている人がいたら、多分その人は今まで何回も旅行をしてきた人で、トラブルも含め色々な体験をしてきているからそれができるのであって、そのためにはかなりのコストと時間をかけている。初心者の時はそれがないのでお金と時間をかけて体験をするしかない。私たちは確かにすいすいコストをそんなにもかけず旅行はできますが、それは今までの何十回の旅行の体験が基礎になっているわけで、初心者は無理です。」

     私たちは確かに十分な予算も時間もありません、だからこそ説明会に来て色々な話を聞いて旅行の参考にしようとしているのです。それなのに何十回旅行した私たちの経験はあなた方にはまねができないと言うのではあまりにも参加者を馬鹿にしています。私たちは講師の自慢話を聞きに来たのではないのです。説明会中は他の参加者のこともあるので黙っていたのですがかえってから思い出すとあまりにも腹が立つのでアンケート用紙に意見を書いて返送しました。

     それから一ヶ月ほどして「格安航空券ここで買う」と言う本を参考にしてバンコック行きの航空券を買いました。旅行の日程は履修届を友人に頼めば大体六十日間は取れそうだったので六十日オープンのパキスタン航空です。バンコックから先は現地の旅行会社で買う予定です。実際にバンコックでカルカッタ行きの航空券を購入したわけではないので概算でしか料金は言えませんが、どうも往復九万円を切る料金になりそうです。うまく行けば八万円を切るかもしれません。

     旅行の準備も一月下旬にはほとんど終わりました。バックパックも買ったしウエストポーチも買ったしスニーカーも買いました。パスポートもとって、インドのビザも自分で手続きしました。書類不備だったりして一回では手続きは終わりませんでしたが何とか終わらせました。後は二月初旬の出発を待つばかりです。親兄弟からの餞別と友達からのカンパももらいちょっと懐は裕福です。なんせパッケージではなく本物の旅を体験しに行くのですからちょっと気分は緊張しています。

     出発当日一人旅は空港から始まりました。家族とか友人は何人か見送りに行くとは言ってくれたのですがあえて断りました。もう一人旅は空港から始まっているのです。飛行機の中は初めてなので少し緊張しましたが回りは日本人がほとんどでしたし隣の人も日本人なのでそう戸惑いはありません。残念なことはトマトジュースが欲しかったのに回りが全部オレンジジュースだったので、オレンジジュースを飲まされたことです。トマトジュースとスチュワデスさんに頼んだのですがたまたま外国人の人だったので通じなかったみたいです。三回ほどトマトトマトトマトと繰り返したんですが。

     隣の人は一週間ほど休暇を取って泳ぎに行く予定だそうです。あまり共通の話題はなかったのですがずうっと黙っているわけにも行かず当たり障りのない世間話をしていました。それ以外は食事に映画、音楽を聴く事くらいしかありません。最初ヘッドホーンを配られたときは頼んでもいないのに料金を取られるかと思ってちょっと不満でしたがどうも回りを見るとお金を払っているようでもないし皆に配っているから、まいいかと思い隣の人にも「これただですよね」とは聞きませんでした。後から思うとそれは正解でした。飛行機はマニラを経由してバンコックに到着しました。いよいよ自由旅行の始まりです。

     真夜中眠いはずなのに妙に気分が高揚しています。初めてなので入国手続きがどんな物かも解りません隣の席の人もバンコックで降りると言っていたので彼が行く方向に進みました。後ろ姿を追っていたのですが一時見失ったときは焦りました。入国の列に並んで二十分ほど待ちました。小学校時代八十メートル競走の順番が回ってくるのと同じ嫌な感じがしました。回ってきて欲しくないでも早く終わって欲しい。

     五、六番前の人が何か質問されえらく時間がかかっています。口がからからになってきました。そうだパスポートを出しておかねばなりません。いつも入れておくバッグのポケットを開けてみましたがありません、よりによってこんな時にこんな所でパスポートが見つからないなんて。飛行機のなかでタイの入国カードを記入したときには確かにありました、それから記憶が定かではありません。まさか飛行機のなかに忘れたはずは、たぶんありません。

     入国の時にもめていた人も結局スタンプを押して貰ったみたいです、列が進み始めました。鞄のあちこちを探したのですがパスポートは出てきません。ウエストポーチも見てみました入っていません。もう後一人で自分の番です。周りの人の目も気にせずバックは全部ひっくり返してみたのですがどこにもありません。次の人に順番をゆずろうと思ってふっとシャツのポケットを見ますと、あった、ありました。そういえば直ぐ出せるようにと鞄からポケットにパスポートを移したのでした。

     とうとう自分の番が回ってきました。係員が聞いてきました、英語です。「ハウ、ロング、ドウ、ユウ、ステイ」えーと、えーと、さっきの緊張で頭が回りません。簡単な英語です、解ってます、解ってますがどう答えようか。「何日ですか」たどたどしい日本語で係員が聞き直してくれました。解ってるって、解ってますがいまちょっと疲れていて英語が出ないだけなんだ。「えっと、ファイブ」、やった英語が出ました。「どこ、泊まりますか」また日本語で聞いてくれました。「YMCA」、特別に泊まるところを決めてないときは安宿の名前を伝えるよりYMCAと言った方がいいと聞いていましたのでそう答えました。後はパスポートのページをぺらぺらめくってスタンプを押して手続きは終わりました。

     次は何をしたら良いんでしょう。回りを見渡すと二百メートルほど先にカウンターがありそこに人が並んでいます。何か係員と話をして次々と手続きが終わって行ってるみたいです。とりあえず並んでみます。何人か順番が進んだ所で変なことに気がつきました。ここに並んでいる人はみな荷物を持っているのです。私はと言えば、機内持ち込みの手荷物だけで日本で預けた荷物はいま手元にありません。せっかく二十分待って順番がよくなってきていますが周りの人に聞くしかありません。私の前後は現地の人っぽい旅行者で、その後ろに日本人らしい団体パッケージの参加者です。自由旅行の私が団体の人に物を聞くのもおかしい話ですが背に腹はかえられません。「その荷物どこでもらえるんですか?」
    「えっ、荷物って何の荷物ですか」団体のメンバーの一人が答えました。私の顔が赤くなっていくのが自分でも判りました。でもいまこの人に聞くしか方法はありません。

     「日本で預けた荷物のことですが」相手の視線が私の頭から靴までスキャンしていきます。私が話しかけた人以外のメンバーもそれまでグループのなかで話していた会話が一瞬途切れてサムソナイトのスーツケースを押しながらこっちを見ています。

     「あっ、それね、それならほらあそこに電光掲示板があってPKなんとか便て書いてありますよね、その下に荷物がぐるぐる回っているベルトコンベアーがありますでしょう。そこで自分の荷物をとってくれば良いんですよ」

     「どうもすんません」小走りにベルトコンベアーの方へ急ぎました。後ろで途切れていた会話がまた始まったようです。「はっはっはっは」と笑い声も聞こえます。どうせ話している内容は判っています。後ろから飛んでくる視線が痛い。くそったれ、おまえらと違ってこれからインドへ一人旅をするんだよ!

     荷物をとってきた後も税関の検査もすんなりと行ったとは言えませんでした。
    「XXXXX」
    「えっ!」
    「ドンチュウ、ハブXXXXX」多分なんか持っていないよねと言ってるのでしょうがよく判りません。私としては判らないから答えようがありません。
    「サイトシーイング」「スチュウデント」
     「XXXXXXX」
     「えっ!えーっと、SIGHT SEEING・SUTUDENT」
     税関の係員それからなにか二、三の質問をしましたが解りません多分英語で話しかけられていたとは思うのですが、タイ語だったかも知れません。黙っているわけにはいきませんのであてずっぽうに会話を続けるしかありません。
     「カオサンロード、ステイ、チープホテル」
     「XXXXXXXXXX」
     とうとう係員しょうがないから行けと言う顔で顎をしゃくりました。これは多分行けと行ってるのでしょう。どうやらタイにやっと入国できそうです。
     「サンキュウ、サンキュウ」

     愛想笑いの顔を精いっぱい作って係員にお礼を言いました。もしかしたら顔はひきつっていたのかも知れません。でも何も話さないのもおかしいですし相手の行ってることはほとんど解らないし、「サンキュウ」しか言いようがありませんでした。

     荷物を持って空港の到着ロビーに出ました。やっとここまでという感じです。真夜中なので定期バスは出ていません、安宿街のカオサンロードへは空港バスもありませんホテルの案内書でカオサンロードの宿を予約しようとしたのですがもっと高いホテルしか予約できませんでした。空港内をうろうろしてホテルとかバスの手配をしようとしてる間にさっき到着した飛行機の乗客は水が引くようにサーといなくなってしまいました。多分迎えのバスが来たのでしょう。残ったのは数人の日本人も含めた外国人旅行者、しょうがない空港で夜明かしでもしようかと思い寝れそうなベンチを探し始めたときです。

     「カオサンロードにいくんですか?」

     さっき同じ飛行機に乗っていたらしい二人ずれが話しかけてきました。

     「いやー、さっきから空港バスはないかどうか探しているのですがどうもカオサンロードには行かないようでタクシーは高いし今日はここで寝ようと思うのですが、空港のなか夜寝ても大丈夫ですかね?」

     「多分大丈夫だとは思うのですが、一緒にタクシーを使って割り勘すればそんなにお金は高くはないですから、カオサンロードに行きませんか?ここで寝ててもしんどいだけですから。」

     二人連れの片方が答えました。願ってもないことです、さっそく空港タクシーの切符売り場へ行ってチケットを買いカオサンロードへ出発しました。タクシーのなかで二人連れとは話が弾みました。彼らは関西の方の大学二年生、タイからはシンガポールの方へマレー半島を南下する予定だそうです。予定は一ヶ月くらいだそうです。車の窓の外はタイの町並みが続いています。さすがに椰子の木があったりしゅろの木があったりして南国です。車は四十分ほどで安宿街につきました。宿は地球の歩き方にも出ていた所を選びました。

     部屋はさっき一緒に来た二人連れの部屋に追加ベッドを入れて貰って三人部屋にして貰い、かなり予算より安くて済みました。今日は海外初日にも関わらず良い旅ができました。明日は彼らはバンコック中央駅でペナン行きの切符を買いに行くそうです、私は明日は旅行会社に行ってカルカッタ行きの航空券を買う予定です。朝は食事後九時にはホテルを出るつもりですので八時には起きることにしました。

     次の日私が起きたときには彼らはもう顔も洗って服も着替え食事に行くばかりになっていました。昨日の疲れで目覚まし時計では起きれなかったようです。食事後彼ら二人はバスに乗って駅へ行きました。私はホテルの回りの旅行会社を数件回ってみました。どうも、バングラデシュ航空かビルマ航空が一番安いようです。タイ航空が一番高く、インディアンエアラインがその中間と行ったところです。一日考えて返事をしようと思いその日は申し込みませんでした。昼からはバンコック市内を回ることにしました、当然一人旅で予算もそんなにないため市内の公共バスを使うことになります。今日はエメラルド寺院と黄金寺へ行くことにしました。ところがバンコック市内は慢性的な交通渋滞でなかなかバスは動きません、日中は暑いしバスのルートマップは複雑だしさんざんでした。黄金寺はいけたのですが、エメラルド寺院までは回れませんでした。

     うまくまわれなかったかわりにバンコック中央駅の前で黄金寺への行き方を教えてくれた高校生らしい三人組、(お互いたどたどしい英語で何とか通用しました)バスが遅れたため遅い昼食をとった駅前の庶民的な飯屋の無愛想なおやじ、(でも安くて大変おいしかった)等にで会って一日中有意義な日でした。こういう現地の人と話をしたり観光客が入るレストランではない所で食事をしたりする醍醐味はパック旅行では味わえない物です。

     夜は泊まってるところの近くの中華料理屋であの二人組と一緒に食事をとりました。ここはガイドブックにも出ているところで割合安くておいしいところです。回りはほとんどが旅慣れした外国人旅行者で半分弱が日本人旅行者でした。あちこちでタイの旅行とかバンコックの市内観光の話が飛び交っています。ほんの三日前はまだ日本にいたことが信じられないくらいです。

     私たちのテーブル以外は旅行慣れしている歴戦のツワモノみたいです。オーストラリアだとかアフリカだとかの話が聞こえてきます。インドの話は聞こえないかと聞き耳を立てていましたがそれらしい話は聞こえてきません。二つ向こうのテーブルの外人(私もタイでは外人なんですが)はテーブルの上にインドの旅行ガイドブックをおいていましたが、気後れしてしまって話しかけるどころではありませんでした。

     ちょうどその時、隣のテーブルにアベックのお客が入ってきました。女の方はインド綿のシャツにミラーワークのチョッキにインド風のスカート、男の方は長髪の髪を後ろで束ねてインド風のシャツにズボン姿でした。これはもう絶対インド帰りに違いないとは思ったのですが話しかけるタイミングがありません。食事を注文した後二人でぼそぼそ話をしています。割り込むタイミングが取れないのです。こちらのテーブルはもう食事が終わってお茶も飲んだし気ばかりが焦ります。

     男の方が本を鞄から出しました、なんとそれは英文のガイドブックだったのです、背表紙には「INDIA」とあります。耳はもうろばの耳です。はっきりとは聞き取れないのですが「カトマンズがどうのこうの、カルカッタがどうのこうの、何とかプールがどうした」。隣のテーブルには食事が運ばれてきました。

     他の二人は明日朝が早いとのことでホテルへ帰りました、私はと言えばどうしても隣の人に話を聞かねばと気ばかり焦ります。何杯もお茶をお代わりしました。隣は食事がやっと終わったようです。いましかありませんでも気後れが。
     「ちょっとすみません」
     やっと声が出ました。かなり私は緊張していたのでしょう、相手の顔が心なしか硬い表情になりました。
     「ちょっとすんませんが、インドへ行かれてたんですか?ちょっと時間良いですか、これからインドに行くもんですから。」
     男の方が答えてくれました。
     「え、なんですか」
     私は必死です。
     「イイインド、です、インドへこれから行くんですが、初めてなんで向こうのこと解らなくて。」
     「そうですかちょっとならイイですが」

     それから三十分間切符の買い方からカルカッタの安宿街、カトマンズのホテル等みっちり情報を教えて貰いました。ガイドブックもロンリープラネット社の物が良いと言うことなのでさっそく明日大手の本屋さんに買いに行くことにしました。日本のガイドブックに比べてすごく使い易いそうです、英語も難しい単語が出てくるわけではないので最初取っつき難くともそのうち慣れてくるそうです。明日は彼らに勧められた旅行会社に行ってカルカッタ行きの航空券を買おうと思います。

     部屋に帰るとシンガポール組の二人は汽車の寝台車が取れたとのこと明日の午後まずタイ南部のハージャイとか言う街へ向けて出発するそうです。まずはおめでとうです。その日の夜は、旅について日本人についてアジアについて語り明かしました、個人旅行の醍醐味はこんな所にあるのかも知れません。さっきのレストランで出会った旅行者もそうですし、この同室の人もそうです。

     結局バンコックには二週間滞在してしまいました。バンコック自体大きな街だったこともありますし見所もたくさんあったこともありますが第一の理由はこのホテル街をうろうろしているといろんな人に出会えるという事です。シンガポール組がでてった後、ホテルは一人部屋になったので料金が上がったのですがインド組も同じホテルだし、彼らの紹介でいろんな人と知り合いになれました。

     同じホテルでなくともレストランでよく会う旅行者とも情報を教えてもらえたし、日本人だけがたまっている所ではないのであちこちの国から来た旅行者とも話ができました。もちろん英語なんか外人と話したこともないので他の英語が話せる日本人の旅行者の横でにこにこしながらうなずいているだけのことでしたが。うなずいているだけでも自分が世界という物にふれ始めている事を感じていました。

     そこで話されている話は、ほんの十日前日本で暮らしていたぼくには信じられない物でした。ニューヨークの何とかさんの話、ナイロビのホテルの話、インドのコモリン岬の話、ベトナムの入国ビザの話、パリのアエロフロートの話、オーストラリアの四輪駆動車でのキャンピングツアーの話、スケールの大きな話です。そこには世界がありました。バンコックの安宿のレストランで話される色々な国から来た旅行者の色々な話、まるで暇つぶしの話のように彼らは世界を語っていました。

     これです、私が求めていたものは、団体でする観光旅行ではこういう旅行者に会うことも話を聞くこともできなかったでしょう。安くはない金を払って参加してただ見てくるだけの観光旅行、予算はそんなに多くはないけども色々な人と会ってそこから世界がのぞける貧乏自由旅行、バンコック出発まではずーとカオサンロードに泊まっていました。そのあいだ気分が乗れば有名な観光地は二、三回ってみたのですが、ほとんどがカオサンロード近辺をぶらぶらしていました。そちらの方がたくさん知り合いができるしこれから行くところの情報もたくさん入ってくるしまさしくこれこそが旅だったのです。

     日本を出て二十日間ほど経ってやっとインドのカルカッタに着きました。ちょっと回り道しましたがなんてことはありません。そう急ぐ旅でもありません、少しは旅に慣れ始めたようです。
     
     カルカッタを起点にして旅を続けました。四月の初めには日本へ帰る予定だったのですがインドを半分も回ってはいません。四月はさすがに猛暑の夏なので今南インドの避暑地オータカムンドに沈没しています。学校もそろそろ帰らないと危ない時期になってきました。どうしようかと迷っています。お金は何とかなりますが、これから北インドの方へあがって行くには暑すぎますし六月になれば雨が降り始めます。思い切って飛行機でボンベイからデリーを経由してカトマンズへ入ろうかとも思っています。

     日本を出てからほぼ六十日が過ぎました。お金を使った駆け足旅行と違ってなかなかしんどいことなのですが少しは旅が見えてきたように思います。だから何なんだよと言われるとどうも言えませんが旅のなかでの自分の居場所が分かって来そうな気がします。

     まだ日本に帰るかカトマンズにひとまず飛ぶか迷っています。もっと日本が何もかも管理された社会でなければすぐにでも帰るのですがこのままいったん帰ってしまうと社会のなかに埋没してしまってもう二度と旅をすることができないような気がしてなりません。

     バンコックであった放浪中のあのインド帰りの二人ずれを初めとして日本人の長期旅行者にはたくさん会いました、いい人もいたし嫌な奴もいました、すごく重い人もいたし薄っぺらの人もいました。彼らがもし日本に帰ったとしたら、そして日本の社会が彼らを受け入れるほどのことができたとしたら、その時こそ日本は変わったと言えるし日本の文化も伝統も誇れる物になったと言える様になるでしょう。

     でも現実の日本はそうではありません、彼らを日本社会は受け入れようとはしません、がちがちの管理社会の日本では受け入れる余裕がないのです。確かに経済は発展して物質的に豊かにはなったのですが、そしてそれを味わったとしてもまだ幸福になれない日本は何かがずれているように思えます。

     自由そうでいて何かしようとするとがっちり管理されている日本。それなりに豊かで安全でのぺりとした日常しかない日本。ともすればそれらのなかに埋没してしまっていて大切な自分を見失っている人々。私もその中の一人だった様に思いますが、今回の旅ではっきりとは解らないけども本来の自分という物を少し取り戻したように思います。バンコックを出発点としてカルカッタ、ベナレス、ブダガヤ、ボンベイ等の安宿で出会った旅人達(日本人も外国人も合わせて)、安宿のおやじ、ちゃい屋のおっさん、リキシャワラ(リキシャの運転手)レストランのあんちゃん、本屋のじいさん、沢山の人に会ってふれあい本来の自分を少しだけですが見つけることができました。

     たった二ヶ月の放浪旅行ですが人が語った言葉ではなく、自分で体験した現実の世界にふれることができた様思います。未だ迷っています、気候のいいオータカムンドの高原のちゃい屋で道の向かい側の自転車屋を見ながら夕食後のミルクティを飲んでいます。もう夜も遅いのに自転車屋の若いのはまだ働いています。

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