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トラベルメイトトラベルメイト98

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「トラベルメイト98」
  1. 【 旅行者(2) 】


  2. 旅行者(1)で箇条書きにした部分をもう一度載せておきます。
     1)日本の現実に満足してない、疲れている。
     2)日本では現れない本当の自分が海外旅行中に見つかるか見つかるきっかけ
       になる。 
     3)旅行はその大きな曖昧とした目標のための手段である。 
     4)旅行の形は基本的に一人旅である。
     5)理想的には日本では航空券だけを購入、後は現地で手配する。
     6)お金を今持っていてもとにかく安く旅行できなければ旅行は失敗だと思っ
       ている。
     7)なにはなくとも「現地」という言葉を好む。
        現地の人と同じ物を食べ、同じ目線で考え、現地の人とふれあって、現
        地の人の生活に触れ、観光客が見る見方でなく現地の人の考え方で、
        **この「現地」という言葉、一歩間違うと「現地人」という昔は「土
          人」とも呼ばれた危ない言葉に近いです。最近は、地元という言葉
          も使われ始めました。**
     8)観光地とか観光客という言葉に拒絶反応を示す。
     今回の一人旅は、通常観光客か行く観光地は極力さけた旅でした

     そうそうもう一つありました。これは記事とか読み物として載っている話ではありませんが、(9)があります

     9)結構他人の目を気にする。
        パッケージで旅行する人たちに比べ、なにも考えず団体で高級ホテルだ
        けを泊まり歩くツアーに比べ、等のフレーズがよく使われる。
        逆に、日本人旅行者とは離れ南米の安宿に世界放浪のバックパッカーと
        一緒に、観光客のほとんどいないなにもない片田舎を一人で、等の孤独
        を強調する形で現れることもある。
    出発前の空港ロビーとか、帰国後の到着ロビーは、パッケージの参加者
        も含めて女の話とか(中年のおっさんに多いですが)、いかに面白い体
        験をしたとか、これからお金を全然持たずに一人旅をするだの、「鼻高
        々」トークのオンパレードです。(確かに鼻高々トークは気持ちいいで
        すけどね。)

     これらのはやりの旅行者像は何か違うぞと言う気がします。海外旅行史でも触れておいたのですが、海外旅行に出かけるだけでそれがある程度社会的意味を持ったのは、60年代から70年代の初めまでであって、73年くらいからは個人的な努力をちょっとすればもう貧乏旅行ではなくかなり個性的な旅が十分出来た時代になっていました。

     例えば日本でTV放送が始まった頃を想像してください。最初は既製品のTVセットはほとんどが外国製品でした。そして電気マニアが作った自作のTVセットもかなりの割合でで使われました。すぐ日本でも家電のメーカーが既製品のTVセットを売り出します。最初はほとんど受注生産品でのスタートでしたでしょう。

     小田実が旅行した1950年代後半から、海外旅行自由化の1964年まではTV放送の開始前の状況です。64年から72年、73年位までは外国製品か、マニアの自作セットが幅を利かせた時代です。やっと73年頃になってから、お金さえ出せばそして秋葉原とか日本橋の特殊なお店でなくとも日立とか東芝の既製品のTVセットが買えるようになった時代と対応します。

     今から26年前の1972年、日本から海外旅行に観光で出かけた人は年間、何人くらいいるでしょうか。この時期はまだ海外旅行はそうポピュラーな物ではありませんでした。まだ。あの「深夜特急」の沢木耕太郎も旅行に出発してない頃です。全体で、うーん30万人くらい、そのうち18万人くらいが観光客。(さっきまで私自身も、イメージとしてはこのくらいかなと思っていました、資料を引っぱり出すまでは!)

     なんと、1972年には日本からの海外渡航者はすでに100万人を越えていました。法務省の資料によれば、1972年の日本からの日本人出国者数は139万千人です。うち観光目的は103万5千人。もうこのころ海外旅行はそうは珍しいことではなくなっていたようです。

     この頃でも、メディアにでる海外旅行に関する記事とか読み物は多くはなりましたが今の量からすればまだまだ少ない物でした。その中の個人旅行等はもっと少なく、事故があったときなどの三面記事にしかその存在はありませんでした。

     ガイドブックなどはどうでしょう。1965年には団体パッケージ旅行用の物は実業之日本社からもう発行されています。個人旅行用の物は、1979年のダイヤモンドビック社の「地球の歩き方」を待たなければいけません。確かにこれ以前にも個人旅行用のガイドブックはいろいろな出版社で発行されましたが、ほとんどがシリーズ物ではなく単発の紀行文ぽいもので全く参考にならないわけではありませんが、いまいちではあったのです。 マニアの旅行研究会の動きは全国各地ではあったのですが、そう一般的な話になるまでには至っていません。機関誌として案外ポピュラーになった「オデッセイ」は スタートは74年か75年位だったように思います。

     現実はどんどん進んでいきます。73年には出国者数は200万人を越え228万8千人になります。1969年から1973年にかけての出国者数の増加は、前年比40%を越え特に72年から73年にかけては前年比64.43%という驚異的な数字になってきます。

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