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「トラベルメイト98」
  1. 【 旅行者(5) 】


  2.  決まり切った机上の空論でも良さそうな言葉を並べていけばそれなりの考えに見えます。現実に、ちょっと考えてみれば「ゆとりある」と「千円でも安く」は整合性がありません、むしろ反語に近いイメージです。通常はゆとりがあれば、千円でも安くとは考えないでしょう。

     いやゆとりがあっても、千円でも安くと考えることは旅行中悪くはないとお思いでしたら、それは絶対に間違っています。遊ぶために旅行するのであって、そのためにはお金を消費しなければなりません。無駄なお金を使う必要はありませんが、だからといって毎日百円でも千円でも節約するのが旅行の目的ではありません。

     確かに毎日旅行中家計簿を付け続け、前の日より一円でも安いとにんまりし、10円でも他の人より安く生活できると鬼の首を取ったように大喜びする旅行者は少なくはないです。かって私もそうでしたからあまり大きなことはいえませんけどね。これはですけども「ゆとり」ある行動ではありません。もっとせっぱ詰まった何かにとりつかれている状態に近いのです。一言で言えば「貧乏性」、行動で現れるもので一番近いのが「貧乏揺すり」、貧乏揺すりするやつにゆとりなんか感じられますか?

     もう一つしつこく行きます。「裕福な日本の消費生活に疲れることがあるかもしれない。」の部分、ここもよく使われます。「裕福な日本は...。」だいたいが否定される対象としてでてきます。
     *裕福な日本の生活を捨て、バングラデシュのボランティア...。
     *裕福な日本の生活を捨て、長期の放浪旅行...。
     *裕福な日本の生活に疲れ、スペインの片田舎にのんびりと...。


     「裕福な日本」に続く言葉は、捨て、疲れ、逃れて、甘えていた、日々流され、「裕福な日本」は悪いことなのでしょうか。まず「裕福な日本」でなければ、海外旅行は出来ませんよね、CMにもありますが、最近の裕福な日本の女性、50代でもなかなかの人が増えてます。今から30年前の50代比較しても今の方々数倍若いです。中国の50代と比べてみてください。まだ北京とか上海の都会は比較が出来る程度の差ですが、地方の50代とは同じ年代だとは決して思えません。インドの50代と比べてみてください同じことです。

     腰が曲がってしわしわの顔で孫を遊ばせる50代は、通りすがりの観光客や旅行者には感動の材料にはなるのでしょうが、自分がそうであることは皆さん嫌でしょう。これが爺さんであっても一緒です。

     普通に考えて、裕福であることに疲れることなんかありますか?裕福であろうとがんばって、その志途中で疲れてどうでもいいやとなることはよくある話ですが。裕福に疲れるほど日本全体は豊かではありません。正確に言えば「裕福になろうと思って努力したけどもまだまだ安心ではない。だからいつも不安である」とでもなります。

     いつも不安ならその不安を解消する行動をしなければなりません。それは手っ取り早いのは、物を買ったり飲み歩いたり食べ歩いたりの消費活動をすることです。海外旅行もそのうちの一つに十分はいります。こういう不安解消のやけ食いにもにた行動を、消費活動の中でも「浪費」といいますが、日経の記者は、浪費を「裕福であることに疲れて」と言い換えることで大きな間違いを犯しています。

     それとも彼らのお仲間の辺見氏と同じように、国内取材でも連夜しゃぶしゃぶと特上寿司を食えるほどのレベルで毎日を過ごしているから日本は平均的に同じレベルだと思いこんだのでしょうか。(私もしつこいですね、でも食い物の恨みは怖いといいますから、しゃぶしゃぶも日経の記者は、大蔵省のようにノーパン付きでしたでしょうか!そうなら、うらやましいぞ!!!)

     今まで長く旅行者のみなさんを見てきましたが、個性ある旅行をする人とか、裕福であることに本当に疲れてなんて人はほとんどいませんでした。いままで延べ人数で4〜5万人という所でしょうか、その中でも印象に残る人は数十人しかいません。

     私も大したことは今までやってきてはいませんが、旅行者を見る目は鍛えられています。ほとんど毎日ほぼ30年弱、旅行手配の繰り返しを続けていますから。 大部分の人は自分では世の流行には流されてなんかなくて、自分の好みで目的地と旅行方法を選んでると思っていますが、「チッチッチッ」、全くそうではありません。

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