「旅行記」
トラベルメイト
監修・編集

リロとハツキの自転車旅行

 

VOL.49 インド(47) 南インド料理の話 (2)

「あーなんかうまいもの食いたいなぁ。マサラ味じゃないやつでさ」  

ここはプダコタイから六二キロ走ったところにあるタンジャブールというにぎやかな町だ。空腹をかかえた私は、大きな声で独り言をいった。走行距離は昨日の約半分であるにもかかわらず、どういうわけかその日、私はひどく疲れてしまった。ほかの三人にきいてみると、皆一様に元気がなく、同じ答を返してくる。これは昨日長距離を走ったことによるエネルギー切れであると思われた。

「でも、ノーモアイドゥリよね」

イボンヌが少し遅れてつぶやく。私たちはたいてい、一日に一回は食堂でミールズと呼ばれるカレーの定食を腹一杯食べる。そこでは、おかずのカレーやごはんがおかわり自由なので、私たちはもうこれ以上食えないというまで腹に詰め込む。けれども、これが食べた割には、いつも腹持ちが悪いのだ。その理由は、どうも米にあるように思われた。食堂で食べるご飯は、丸くてポロポロしていてとても軽い。私は、以前ある田舎の村を通りかかったとき、おばあさんが片膝をたてて山のように盛られたご飯を食べていたのを思いだした。そのおばあさんは、とてもやせていて、目の前に盛られた飯の山が、あまりにも不釣り合いだったのが印象的だった。

「お米に含まれる栄養が少ないんだろうね」

葉月がいった。インドを自転車で旅行する場合、ミールズを毎日腹一杯たべても、エネルギーは十分とはいえない。私はこのことを漠然と意識はしていた。けれども、この時点ですでに体力がかなり衰えていることには、気づいていなかった。

「タンドーリチキンでもいいから、なんか肉がたべたいなぁ」

私のひとりごとが皆にきこえたのか、その日は西洋料理の看板をかかげたちょっと安っぽいノンベジレストランへ行く事になった。こういう店の味は、よほどの高級レストランでない限り、あまり期待してはいけない。客層は地元の人よりもツーリストのような一見の客が多そうだ。私は鳥肉の野菜いためのようなものと、ヌードルスープにライスをたのんだ。さて、出てきたスープは、マギーのインスタントをそのままお湯にといたようなもので、期待はしていなかったけれどもやっぱりがっかりする。肉野菜いためのほうも、ちょっと違うんじゃないの言いたくなるような味だった。パトリックも鳥肉の料理を注文した。しかしこれが原因かどうか定かではないが、翌日になって下痢をしてしまった。肉を食べないイボンヌは、コックにその旨伝えて、彼女の食べれる物を注文した。

「あした、もう一泊して自炊しよう、ここならスパゲティが手にはいるよ」
宿への帰り道、私はすっかり口数が少なくなったみんなに提案した。

「そうしましょう、私はサラダをつくるわ」
イボンヌは積極的だ。パトリックも葉月も乗り気だ。  

翌日。私達は観光もかねて、自炊の材料を仕入れにでかけた。幸い、インド製だが、念願のスパゲティを手にいれることができた。宿にもどり、さっそく調理を始める。トマト、たまねぎ、にんじん、ピーマン、にんにくを、葉月がアーミーナイフで手際よくきざむ。私はガソリンストーブに火を起こし、コッフェルに一杯の湯をわかす。お湯が煮立ったら、塩を放り込んで、かってきたスパゲティをゆでる。それがゆであがったら、お湯をすて、日本から持ってきたオリーブオイルをまぜあわせる。次にフライパンにオリーブオイルをたらし、にんにくをさっといためる。毎度のことだが、この時のにんにくが焦げる香ばしいにおいが、たまらなく食欲をかきたてる。

「冷えたビールがあったら最高なんだけどねぇ」
私はつい、ない物ねだりをしてしまう。最後に、のこりの野菜をいためて味を付け、そのままグツグツ煮込むと、トマトソースのできあがりだ。

「わー、イボンヌの作るフルーツサラダ、おいしそう」
葉月の声につられてのぞいてみると、そこにはオレンジやりんご、バナナやパパイヤといった色とりどりの果物が、きれいに盛りつけられていた。  

ところで、こんな時パトリックはいつも手持ち無沙汰だ。

「パトリックは後で洗い物をするのよ」

イボンヌがしっかり釘をさしている。白人の若いカップルをみていると、一つの仕事を平等に分ける人たちが多い。そのなかでパトリックは例外のようだ。寄宿舎で育った彼は、あまり料理に縁がなかったのかもしれない。またカップルと呼ぶほど彼らはもう若くない。  

話はちょっとそれるが、ダーウィンのYWCAに滞在していた時のこと。私と葉月は、午後のひとときをテラスでくつろいでいた。となりにフィンランドから来た年輩の旅行者が座り、そこでおしゃべりになった。旅好きの彼は、出不精の妻と別れることになったいきさつと、間にできた娘の話を語り始め、やがて時は過ぎ、夕食の支度をする時刻になった。いつもなら、二人で準備するところだが、その日は私が彼の話をきいていたので、葉月が料理をつくった。一人旅の彼が、苦心しながら英単語を組立て、人生の核心部分を話す様子は、鬼気迫るものがあり、私は時のたつのも忘れて彼の話に集中した。そのうちに、料理を終えた葉月が、皿やフォークをテーブルに運んだ。この光景に彼は目をまるくして、私にささやくように小声で聞いた。

「一緒に支度をしなくてもいいのかい?」
「あ、いいんですよ、だって今はあなたとお話ししているのだから」

わたしがそういうと、かれは再び目をまるくして、それはうらやましいといった。 こういった質問を、私はこれまでに何度か受けた。私達は一つの仕事を二人で分け、見た目上の平等にしようとは考えない。しかし椅子に座っておしゃべりをして、運ばれた料理を食べるだけの私の姿は、欧米の人からみれば、とても奇異な光景に映るのだろう。まわりの若いカップルは私達のことを、男女同権が未だに定着しないアジアの一国からきたツーリストとみていたかもしれない。しかし、私達は料理をする係りと、おじさんの話しを聞く係りに分けたにすぎない。  

さて話しを戻そう。パトリックはというと、私達が料理をしているあいだ、彼はひまをもてあまし、私達にちょっかいをだしたりパントマイムで笑わせたりしている。かれが持ち出す笑い話はとても文学的だ。私たちは、ただでさえ英語の会話に苦労しているというのに、そのうえ彼の話のユーモアを理解しようとすると頭に血がのぼってたいへんだ。 「ユーアンダースターン?」 ときかれてウーンと唸っていると、かれはがっくりとうなだれて、ゲンナリしたあと、私達を軽蔑する様子をパントマイムでしてみせる。そのしぐさがあまりにもリアルなので、私はおもわず吹き出してしまう。

「さあさ、子供たち!ごはんができたよ」

イボンヌが号令をかけた。さっそくできあがったスパゲティを皿に均等に盛り分ける。

「ボナペティ(いただきます)」
「スパゲティの麺がちょっとちがうけど、いけるよ」
「なべがもっと大きければ、うまくゆだるんだけどね」

皆、それぞれ意見を言いながらも、心は食べる事に没頭している。作ったスパゲティはあっという間に食べ終わった。私達のコッフェルでは、五〇〇グラムをゆでるのが限界だ。二回ゆでればよいのだが、けっこう時間がかかるので、食事が間延びしてしまう。私たち二人は、後にオーストラリアを走ったとき、一度に一袋(五〇〇グラム)のスパゲティを食べた。いまから思えば、タンジャブールでの献立は、まだまだエネルギーが足りていないことになる。私達はもっともっと良質の炭水化物を摂る必要があった。

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