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田森くんは西へ Index page へ

vol.011 旅の支度 (1)

 

12月に入ってから旅行費用はとうとう25万円を切ってしまいました。

こうなったら仕方ありません、年末年始のアルバイトです。この時期は学生アルバイトが集めにくい時なので、バイト料の相場も上がります。  

名神高速インターチェンジのレストランのバイトがまあまあの条件でした。特に大晦日とか正月三が日は夜間が非常に忙しく、バイト料もそれなりによかったのです。夕方6時頃から入って次の日の朝6時まで、得意の長時間労働です。
目の下にくまを作って何とか正月を乗り切りました。お金も27万くらいまで回復しました。あとは取れるだけ単位を取っておかないと次の年度が地獄になります。幸いなことにこの年は71年。  

70年安保の学生運動の余波があったためほとんどの試験がレポート提出になりました。よほど内容がひどくない限り、レポートを期日までに提出すれば最低の可はくれましたからラッキーと言えばラッキーでした。  

旅行計画はほぼ決まりました。2月20日発の関西汽船でまず沖縄へ、沖縄から琉球海運で、石垣島経由、基隆(台北)、そこでまた乗り換えて、今度はバターフィールドスワイヤー汽船で香港へ、香港でなんと日本航空でバンコック経由カルカッタ、帰りは同じルートで4月下旬遅くとも5月連休が終わるまでとしました。もっと滞在が長くなるとゼミの関係で卒業できなくなるからです。  

レポートは何とか期限までに提出できました。あとはその結果を待って四年次の履修届が待っています。ちょっとでも暇ができたら短期で金のいいアルバイトをやりました。だいたいが、夜中、汚い、寒いこの三拍子がそろえば当時で一時間400円から500円はくれました。  

阪神地下街の真夜中のどぶさらいは、5時間ほどで2500円になるいいものでした。二日間しかなかったですが。  
阪神地下の食堂街の排水は、阪神電車のホームの先の、コンクリート製の小さなタンクにたまります。それがいっぱいになるうちに、固形物がタンクの中に沈殿し、上澄み液がタンク上部から排水溝に流れ込みます。固形物はだいたい2週間でタンク一杯になりますので月2回その固形物を柄杓ですくってドラム缶に移します。そのドラム缶はレールの上のトロッコに載せてあり、一杯になると、ホームから200mほど離れたマンホールまで二人がかりで押していって捨てるわけです。  

レールの上は通常は阪神電車が走っていますから、作業は終電が出発したあとになります。作業開始はだいたい午前一時、作業が終わるのが4時半か5時、始発電車まで30分くらい待って下宿に帰るわけです。  

初日は、最初の30分はさすがに参りました。ほとんど油が沈殿して厚い膜を作っており、たまに現形を少しとどめた豚カツの切れ端とか、スパゲッテイが混ざり一番上にはまだ緑色のキャベツの千切りが浮いていて、たまにネズミのしっぽあり。臭いは、これは20分もすればなにも感じなくなってきます。  

仕事が終わって、阪神地下から大阪駅前の地上にでたときの空気のうまさ。いくら朝で自動車の排気ガスは少ないと言っても、梅田でっせ梅田、空気臭いはずなのにこのすがすがしさ。この時いたアルバイト四人、大きく深呼吸しました。