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田森くんは西へ Index page へ

vol.031 香港 (4)

 

ロウマチャオから宿に帰った時はもう暗くなってました。青学三人組も帰ってい ました。

「今日の朝、日本人ここへ入ってきたけど、どの部屋かな」

田中が答えました

「いや、気が付きませんでしたけど、僕ら以外に日本人泊まってます?」
私「うん、朝ちょうど出かけるときに会ったけど」  

部屋全部顔だして探してみることにしました。彼は廊下の突き当たりの部屋にいました。ベッドに寝っころがって地図を見ています。

「すんません、今日の朝会ったものですが、ちょっとええですか?」

彼は体を起こしながらこっちを見て答えました。

「えっ、なに」
「いや大した用事じゃないですけど、もしバンコックとかシンガポールの情報あれば教えてもらおうと思いまして」
「ああ、いいですよ、シンガポールは行ったことないですけど」
「それじゃあ、下に降りて珈琲屋でも行って話聞かせてもらえませんか。ここイスもテーブルもないですし、廊下のソファも誰か座ってますから。あ、当然おごります」  

早速、青学の連中を呼びに行きました。彼らも香港のあとバンコックへは行くと行ってましたのでちょうどいいわけです。  

一時間くらいで切り上げる予定が、二時間以上になってしまいました。この頃は今のように、東南アジアの個人旅行の情報など一つもありません。行く先々で私の目的地を通ってきた旅行者を捕まえて聞くしかありません。ですから泊まる宿もただ安いだけでは目的を達したことにはなりません。必ず旅行者のたまり場の宿を見つけなければいけなかったのです。  

この永安旅行社はその目的にはどんぴしゃりでした。私はインドのあと中近東とかヨーロッパに行く予定はありませんでしたので、その方面の情報は集めなかったのですがここに一週間もいれば簡単にインド、パキスタンアフガニスタン、 イラン、トルコを通ってヨーロッパへはいるルートの詳しい情報は入りました。 たぶん根性込めてもう数日がんばればアメリカ大陸、オーストラリア、アフリカの情報も簡単でしたでしょう。  

実際、アフリカへ旅行するにはミシュランの地図がいいし、ケニアからカイロ まではヒッチできるなんて事もここで教えてもらいました。教えてくれたのは日本人ではなく、たぶんフランス人だったと思いますが、行く予定もないのに次の日ミシュランの地図を買いに行って、彼がヒッチしたコースにマークを着けてもらったりしました。  

さて、日本人の彼は早稲田の学生で、ゴローと言いました。彼の本名なのか、 ニックネームなのかは解りませんがとにかくゴローさんでした。学校はどうも休学中で、インドシナをもう数ヶ月ぶらぶらしてるそうで、バンコックだか、ラオスの日本人ジャーナリストの手伝いをして金を稼いだこともあると言ってました。  

マレー半島は旅行したことがなく、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、はだいたい回ったそうです。この頃のベトナムとかカンボジアは戦場になっていましたので簡単には入国できなかったはずです。  

彼がどうやって入り込んだのかは詳しくは話してはくれませんでしたが、やり方によってはこの辺りの国境は危ないには危ないのだけども、コンクリートの壁があるわけではなし、川の真ん中を国境が通ってるところが多いので、何とかなるらしいそうです。まして現地の人は川をパスポートなしで行き来してるようですし。  

ま、そんな面白い話以外にも、バンコックとラオスの旅行者のたまり場の宿の名前と場所を教えてもらったのが最大の収穫でした。  

バンコックは今一番安くて旅行者がごろごろしてるのは、タイソングリートという宿で、ラオスはドンパランバンガロー。特にバンコックの安宿情報はかなり詳しく教えてもらいました。大まかに分けて旅行者が行く地域が三つあって、一つはデュシタニホテルの裏側の地域、ここはマレーシアホテル等があり、古くからの 個人旅行者のたまり場、タイソングリートはバンコック中央駅の近くで宿代はマレーシアホテルよりもっと安い。言葉の点とか、汚さを全然気にしないならバンコック中央駅の横の運河を越えたチャイナタウンの安宿街。  

青学の連中の情報にも、私が大阪で集めて情報にもマレーシアホテル辺りのことはありましたが、タイソングリートとかチャイナタウンの事はありませんでした。今日一日で、ゴローさんに情報をもらっただけでたぶん大阪では二ヶ月かかっても手に入らない量でした。