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トラベルメイト田森君は西へ

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田森くんは西へ vol.150

 

タイ・バンコク (2)

 

目が覚めたのは午後二時頃でした。これからインドへ向かう用意をはじめなければなりません。まずやらねばならぬ事を箇条書きにしてみました。

1)ビルマのビザ取る
2)マレーシア、シンガポールへビザなしではいるため買った航空券(シンガポール/バンコック間)の払い戻し83US$分 3)、時間が有ればネパールのビザも取る
4)不要な荷物減らす  

本命のインドのビザだけは、神戸で取っていましたので今回は必要有りませんでした。荷物はキャンピング用品がかさばるし重いのです。だいたいリュックの三分の一はキャンピング用品で占められていました。  
沖縄/台北/香港/バンコック/ビエンチャン/バンコック/ペナン/クアラルンプール/シンガポール/バンコックと通過してきた都市で一度も米も炊かな かったし、お湯さえ沸かしませんでした。私の海外旅行のイメージは、山登りとキャンピング、テント生活のワンダーフォーゲル風な物がかなり強く内容を占めて いました。  

海外旅行が外人専用の安宿がありその周りにはそれなりの味と値段の外人用レストランがあり、大都市には観光案内所があって、地図などもただでくれる。都会では適当な価格で旅行に必要なすべての物がそろい、極端に単純化すればお金とパスポートさえ持っていれば後は何も必要ない。そんな実像は私が出発する前には大阪のどこへ行っても、どんな本読んでも解らなかったのです。  

たとえ実像がきちんと書いてある本があったとしても、とてもそのイメージは頭の中では作ることは不可能だったでしょう。どうしても海外旅行のイメージはキャンバス地のリュック姿でしたし、(この頃大阪ではバックパック風の物は売ってませんでした)寝袋は必需品と思われていたし、コッフェルも持っていけば 絶対便利なものと思われていました。そうそう、ほうろう引きのコップもリュックの外のポケットにぶら下げるスタイルが定番でした。(このスタイル、10年後の中国旅行には便利でした。汽車旅行には自前のほうろうのコップがお茶のむにも水飲むにも必要でしたが、70年代の東南アジア旅行にはヘビー過ぎる格好でした)  

やはりシンガポール往復した時にかついだ荷物は重すぎました。寝袋を除いてキャンピング用と思える物を全部リュックの中から引っ張り出して、JALの航空バッグに詰め込みました。これは大阪の阪神航空で香港からカルカッタの航空券買ったときにもらった物です。このころは、航空券は普通運賃のしか有りませんから航空券一枚でも航空バックが付くサービスがあったのです。  

多分今なら、不要になったキャンピング用品など誰かにあげるか、現地で処分するのが普通でしょう。このとき私は、日本に荷造りして送り返すことしか思い つきませんでした。バックスキンのキャラバンシューズもここでは暑苦しいし重 いので一緒に送り返そうと思ったのですが航空バックにはもう靴が入る余裕はあ りません。  まだインド旅行しなければならないし、インドにはコブラがいるし。靴はまだ リュックの底へ入れて置いても良さそうです。  中央郵便局から船便で日本の実家へ送り返しました。到着するのは2,3ヶ月 後らしいので多分私の方が荷物より早く日本へは帰っている事になりそうです。 思いもかけず郵便局で時間とったため、ビルマ大使館と、日本航空は結局この日 にはいけませんでした。

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