「古文書館」
海外旅行昔々物語 〜海外旅行研究会の足跡〜

ノーキョウさん頑張る
1966年・昭和41年

本年1月から、海外旅行の年1回の制限がなくなった。ノーキョー(農協)さんの海外旅行のはしりが現れ始めた。JALがエアーホステスをスチュワーデスと改称した。しかし海外旅行に水をさすように大きな飛行機事故が続出した。すなわち2月4日、全日空のB−727機が東京湾に墜落、次いで3月4日、カナダ太平洋航空のDC−8機が富士山付近で乱気流に巻き込まれて墜落。
更に11月13日、全日空のYS−11機が松山沖で墜落。その他の1件を含めて、これらの事故で376名が亡くなった。

この年に発売された海外旅行手帖という雑誌の11月号に「無銭旅行の限界点」という1文が掲載され、無謀な海外旅行者に警告を発した。このことからも察しられるように、当時すでに海外でのアルバイトやヒッチハイクが若ものにとって大きな関心事になっていた。本会の会員にもアルバイトの経験者が現れている。当時海外のアルバイトに関心が集まった裏には、外貨の持出制限や報酬に格段の格差があったからだ。

本会が生まれてはや3年。しかし運営上に色々な問題が起こってきた。運営の中心的存在であった指谷、谷の両君が、海外へ出たこと、会員層の二極化が始まったことが主な原因である。当初の頃の会員は漠然とした海外旅行の夢を追ういわば夢想派が大半を占めていた。ところが本年あたりから現実に計画や構想を持って入会する現実派が目立ちだした。そこでこの両方を満足させなければならなくなったのである。ところで春に出発した前記の2君が年末から新年にかけて帰国、新しい情報やデータをもたらしてくれた。これらの要素が活動のエネルギーになって、会の前進に大きな弾みが加わった。
会計の面にも余裕が生まれ、掛地図3本を備品として購入することが出来た。又有地君の努力によって機関誌発行の目途がついた。
本年度の登録会員数は25名と少なかった。したがって例会参加者も延べ110名にとどまった。なおこれまで月例会の会場として使用してきた府立体育会館会議室は、予約その他の事情で不便になってきた。そこで4月から中之島の中央公会堂会議室へ移った。

<月例会活動>

◆2月26日
月例会「女2人ヨーロッパを行く」ゲスト・吉崎、小林、参加者31名。

◆4月5日
18日に出発する谷君の歓送会を開く。

◆6月29日
月例会「ソ連回りルートについて」、有藤君が東京の日ソツーリストビューローで調べてきた最新情報を紹介した。参加者20名。

◆11月27日
月例会「来年度の活動計画、運営方針について」の話し合い、参加者20名。

*本年の海外渡航会員

指谷 昇
欧州・アメリカ他
谷 忠明
欧 州

 

 

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