トラベルメイト Top Page へ

<<前のページ 次のページ>>

病の細道

 

第58回 ヒッチハイカー (2002/03/23)

 

自分の旅の原点はヒッチハイクだ。

現在ではあまりはやらなくなったヒッチハイクだが、テレビや映画でヒッチハイクの場面がたびたびでてくるから名前やどんなことをやるのかぐらいなら多くの人が知っている。

別に難しいことをするわけではない。道路に立ち、走ってくる車に手の親指をたててヒッチのサインを送る。運よく停まってくれたら行き先を言って乗せてもらう。それを繰り返して目的地まで旅する。

学生になり、一人旅をはじめたころからヒッチハイクをするようになった。当時は60年代。モータリゼーションが本格化し、ヒッピームーブメントの影響もあってヒッチハイクは一種の流行だった。お金をかけなくても旅ができるというのも大きかったが、何と言ってもその自由さや気軽さが魅力だった。

だが多くの人は数回試しただけで止めてしまう。待っているのも大変だし予定もたたない。人の情けにすがるのに気の重さもある。単に移動手段としたら、少しぐらいお金がかかったとしても普通の交通機関に頼ったほうが予定も立つし気も楽だ。

単に無銭旅行というのなら、徒歩やサイクリングだって移動にお金は使わない。旅の自由さという点では、多少お金がかかっても自動車旅行のほうが便利だ。食料や荷物もいっぱいもっていけるし中で寝ることもできる。わざわざヒッチなんてする意味なんてないじゃん、ということになる。ヒッチは乞食みたいだからヤダという人もいる。

しかし、そうした意識を乗り越え、ヒッチハイクを続けていると別の世界がひらけてくる。偶然に出会いながら旅することは旅のおもしろさそのものだし、その都度どうしようかと迷うのは一種のRPGゲームのような楽しさもある。苦労も多いがその分いろいろな人に出会っていろいろな体験もする。久しぶりに道路に立ち、親指をたてて車をまっているとわくわくするようになる。

ヒッチハイクはギブ・アンド・テークではない。テーク・アンド・テークの世界だ。自分を偶然と他人にゆだねる。自分から差し出すことのできる唯一のものは感謝の気持ちしかない。これほど他力本願なことはない。

しかし、だからといって、ヒッチハイクはすべてを流れにまかせることではない。はっきりと目的を持ち指をたてるのだ。自分の意志を明確にしてサインを送り続けるのだ。自分にできることはそれしかないのだ。自分にできることを精一杯やってあとは他にゆだねる。それがヒッチハイクなのだ。

体調を崩し心臓バイパス手術が延期になって2週間になる。風邪は治っているが手術の予定の連絡はまだない。いろいろな人が気ずかってくれる。心配をかけている。でも今だからこそ思う。自分はヒッチハイカーなのだ。親指を立て、その時を待つ。

<<前のページ 次のページ>>


E-mail:mail@travelmate.org
これは Travel mateのミラーサイトです。
ページ編集・作成:@nifty ワールドフォーラム