[vol.29]
8月24日(火)古賀〜熊本〜鹿児島

古賀のサービスエリアでは、夜半になって雨が上がり月まででてきた。しかし外は濡れていて寝るところが確保できない。明け方までエリアの明るい休憩室で過ごしたが横になるのがやっとで眠るわけにはいかない。朝一番で福岡あたりに納品に行くらしい関西方面からのトラックが集まりだした。だがエリアを出ていく車はあいかわらずすくない。

東屋のテーブルが乾いてきたので移動。濡れないように寝袋を出してやっと寝ることができた。時々しずくが落ちてくるがいつのまにか眠りに落ちた。近くの公園で遊ぶ子供たちの声で目を覚ますとすっかり夜はあけ8時を過ぎていた。だいぶ寝た。しかし不自然な格好だったせいかあちこち痛い。いつのまにかエリアはトラックと乗用車でいっぱいになっていた。

顔を洗い、ヒッチをはじめる。福岡にいく車が何台か停まってくれたが次ぎのサービスエリアまではだいぶ先だ。しばらくして熊本まで行く車をつかまえた。福岡を通りこすと大分方面と長崎方面の分岐が十字路になっている。聞けばやはり方向を間違える車が多く現在改修中だ。ここの高速道は継ぎ足しで計画が変更され分岐に入りまたすぐに分岐になってしまったらしい。設計も案外いいかげんということか。

福岡から久留米あたりにかけては平野が続き水田が広がっている。山がだいぶ遠い。ここらあたりが九州の穀倉地帯なのだろうか。熊本に近ずくと山間部にはいりあまり広くない畑のあいだに農家が点在している。どの家もりっぱな構えをしている。裕福なのか見栄なのか? コンビニもなく携帯もつながらないここらあたりはなんとなく過疎の雰囲気が漂っている。

熊本の手前、北熊本のサービスエリアで降ろしてもらった。鹿児島までまだ200kちかくある。熊本ラーメンを食べた。とんこつがなかなかおいしい。しばらくやすんでいると昼食の家族連れの車でエリアは一杯になってしまった。ここのエリアはスペースが狭くて出口に余裕がなくヒッチしにくい。案の定なかなかとまってくれない。

結局ここで鹿児島方面の車をつかまえるのに4時間くらいかかってしまった。家族連れで満杯の車も多かったせいもあるが、停まってくれた車も熊本どまりばかり。八代から南は高い山脈が続き、文化圏が分断されているからだからだろうか。待っている間、木陰から空をみていたら夏の雲の上に秋の雲があった。そういえば暑いことは暑いのだが夏の盛りとは違い日差しはずっと穏やかになっている。旅も終わりに近ずいていることを実感。

場合によっては広島の磯辺さんに紹介された宮崎の矢野さんのところに寄ろうとも考えたが、やっとつかまえた車が鹿児島のすぐ手前までいくというので寄り道をする元気はなくなってしまった。北熊本で疲れすぎた。ヒッチハイクではこんな風に進む方向がきまってしまうことも多い。

八代を過ぎると道はトンネルにつぐトンネルになる。えびの市までの50Kの間に20以上のトンネルがあり、そのうち2本は6千mをこえる。このような道は日本には他にないのではないか。トンネルとトンネルの隙間に外が見えるといった感じだ。山は深く美しい。しかし十分に手がはいらないせいかところどころ荒れているのが気にかかる。

宮崎への分岐を過ぎ、鹿児島県にはいると雰囲気ががらりとかわる。明るくどことなく南国の雰囲気がする。九州より沖縄の感じに似ている。やはりさきほどの高い山脈が文化圏だけではなく気候風土まで分断してしまうようだ。やがて鹿児島のシンボル桜島が姿をみせた。残念ながら山頂部には雲がかかり全体はみえなっかった。

桜島サービスエリアで降ろしてもらった。5時をすぎてしまった。市街まで30K。沖縄行きのフェリーはもうでてしまったかもしれない。様子を見にとりあえずフェリー乗り場へ向かうことにした。すぐに乗用車がとまってくれた。事情を話すと携帯でフェリーの出発時間を調べてくれたがやはり5時だった。

渋滞をかわしフェリー乗り場まで送ってくれた。奇跡というべきか船はまだ出港していなかった。岸壁では色とりどりのお別れのテープが舞って手を振りあっている。事務所にいくと、乗船してなかで乗船券を買えという。走った。間に合った。感傷にひたるまもなく船は岸壁を離れた。こうした慌ただしさは旅の終わりにふさわしいのかもしれない。おかげで鹿児島で手にいれようと思っていたおみやげを買えなっかた。

沖縄まで25時間。ちょっと贅沢して2等寝台にした。風太はユースホステルみたいだと言って、どせなら特等がいいなどと勝手なことを言ってくれる。北海道でのユース体験があまりよくなっかったようだ。

深夜、デッキで夜風にあたりながら月明かりに漂う雲をみていた。秋曇はなくまだ夏雲ばかりだった。

Copyright(C)1999 小島春彦